恋した相手はゲイカップル

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 「こんにちは」
 図書館の中姿を見つけ静かに近寄りながら、声をかけると振り返った相手は、少し驚いた顔をしながらも、にっこりと笑った。
 「仕事は、どうしたの」
 「今日は休みなんです、というか、まあ、休みました」
 理由を聞かれないことに女は、ほっとした。
 「それで、もしかしたら彼に会えると思って来たのかな、ここに」
 「いえ、そういうわけじゃないんです、まあ、なんといいますか」
 口ごもる女に催促をせずに返事を待つのは年寄りのなんとやらだ。
 「貴方に会えたらと思って来たんです」
 「ホワイ、何故、どうしたの」
 「いえ、もし暇なら、その時間があれば、良かったらそのデートしません」
 このセリフに老人は内心ずっこけそうになった、いや、三十年ほど若かったら、大きな声で、どうしてと声をあげただろう。
 それほど驚いたからだ。
 「いや、君はディヴィが好きなんだよね」
 何故、好きな相手でなく、その恋人の自分にデートを申し込むのか、日本人は分からんと思いつつ、老人は相手を見た。
 「恥ずかしいじゃないですか」
 人生七十年近く生きてきて、こんなセリフを聞くとは思わなかったと老人は内心呆れるというよりも驚きを感じた。
 「断られたらショックですから」
 「それで私とデートを」
 「駄目ですか」
 あまりにも消極的というか、奥手、内気、これはどう言い表せばいいのだろうか。
 「子供みたいだなあ」
 「この歳だと臆病になるんです」
 確か自分の半分ほどの年齢だったと最初に出会った時の事を思い出しながら、迷った野は少しの間だった。
 「では、行こうか」
 「いいんですか」
 言い出したのは君、誘ったのもだよと言いながら老人は席を立った。


 恋愛は自由だというが、正直、気の毒だと思ったのは理由があるからだ。
 普通なら自分は怒ってもいいのだ、近づくなと牽制してもいい、だが、それでできない理由は色々とある。
 まず年齢差、彼女は正確には三十五歳で好きになった相手は七十二歳だ。
 もう一つ、ディヴィ・ハーマンは自分の恋人だということだ。
 天と地が逆さまになってもディヴィが彼女を相手に今更、恋愛をというのも考えにくい。
 そして彼女が、それをわかっているということだ。
 
 「何故、ディヴィの事を好きになったのか聞きたいね」
 「前にも話しましたよね」
 「顔とか声、見かけだけ」
 「ほら、他にも」
 「ああ、君が振られたばかりで泣いているところを見られたから」
 凄く恥ずかしかったんですよという言葉に老人は、まあ確かにと頷いた。
 「お茶どうです、奢りますよ」
 不意に女の足が止まった。
 
 恋人とのセックスが痛くて感じなくて、その不満を言葉にすると、なんとなく気まずくなり、そのままなし崩しに会わない日々が続いていると聞いて老人は気の毒にと肩をすくめた。
 「初体験は」
 「三十路手前の時ですか、相手はバイセクシャルの女性でした」
 「それは、それは」
 「実は終わるまで殆ど目を閉じていて、朝になったら相手はにこにこしていて、自分はあまり覚えていなかったんです」
 「いい体験をしたんだ」
 「それは自分でなくて、相手がですか」
 「ちなみに相手は年上かい」
 「六十は過ぎていたんじゃなかったかなあ」
 ふむ、それは凄い、だが、言葉には出さずに珈琲に口をつける。
 「喫茶店で、こんな会話、普通に話します」
 「日本人はしないのかい」
 店内の若い女性達と目の前の女性を見ていると老人は、ほんの少し、彼女が可哀想に思えてきた。
 器用ではない、恋愛の経験が多くはない、初体験が良すぎたのかそうでないのか。
 彼女が普通の男性と恋に、いや、並んでいる姿を想像してみた、なんだか、少しだが、しっくりこない、では、自分の恋人はどうだろう。
 (ディヴィは)
 祖父と孫には見えない、だが、父親と娘なら多少は見えなくもないだろうが。
 彼女はディヴィがそばにいると緊張した顔になる、それもひどくだ。
 「彼を、を呼ぼうか」
 「えっ、な、何故」
 会いたいんだろうと聞くと彼女は無口になった。
 「用もないのに呼ぶというのは、ほら、忙しいかもしれないでしょう」
 言い訳にもならないよと思いつつ、だが、本気で思っているんだろう、顔を見ていれば分かる、なんだか楽しくなってきたと老人は壁の時計を見た。
 (今の時間なら家かな)
 「好きだから会いたいというのは理由にならないかい」
 口ごもる相手に理由はなんだっていいからと言葉を続けて、ふと思う。
 一人で会うのは緊張するなら自分も一緒、そばにいるよと言葉を続けた。
 「ほ、本当に」
 「奥手すぎるよ、君は」
 「そ、そうは言われても」
 任せなさいとポケットから携帯を取り出したときだ、コンコンと音がした。
 思わず二人は同時に窓の外を見た。
 一人の老人が笑みを浮かべながら、そっちへ行ってもと指を動かした。
 
 「ほら、顔、表情が硬くなっている、笑って、はい、ディヴィって声をかけて」
 「い、いきなりで、その」
 「もうすぐ来る、落ち着いて」
 
 まるで、思春期の初恋ドラマのようだな。
 いや、彼女はとうに、その時代を超えているが見ている、こっちのほうが恥ずかしくなってくる、いや、それだけではない。
 なんだか楽しくなってきていることに、老人は気づいてもいなかった。
 何故、こんなことになってしまったのか、鍋の底を覗きこむと、ゆらゆらと揺れているのはパスタだ、イタリア人ならパスタは好きだろう、でもイギリス人でも食べるんだ、いや、それは偏見だなどと思っていると背後から声をかけられた。
 「ソースは何がいい、ペーペーロンチーノ、ジェノペーゼもあるんだが」
 「ど、どちらでも」
 いいですと言いかけて女は、はっとした、これではいけない、駄目だ、日本人は優柔不断、何でもいいというのは主張がないと思われてしまう。
 「じぇ、ジェノペーゼがいいです」
 白髭の老人は頷きながら、驚いたよと言葉を続けた。
 「いつもは二人きりだからね、来てくれて嬉しいよ」
 「い、いえ、こちらこそ、突然お邪魔してしまって」
 「君なら歓迎するよ、飲み物はワイン、ビールかな、ウィスキーもあるけど」
 「み、水割りで」
 「ほおっ、イーサンはワインの方が好きみたいだから、バーボンは」
 「飲みます」
 「嬉しいよ」
 私もです、会話がスムーズにできて、なんてことを頭の中で思いながら、成り行きで二人の老人のアパートに来てしまったことを最初は後悔したけど、今は一言、嬉しい、これに尽きる。
 
 テーブルに並んだパスタの皿とパン、飲み物、なんだかおしゃれな映画のシーンみたいだと思うのは決して気のせいではない。
 しかも、向かいの席には素敵な老紳士が座っている二人もだ。
 ただ、嬉しいよりも緊張している自分が情けないほど恥ずかしい。
 相手は年寄り、オジサマでなくて、おじいさんだけど、真っ白な髪と髭だけど。
 以前、ネットで髭は結構、ばい菌の巣くつだという記事を読んだ事はある、だが、それがなんだというのか、外人、それも見た目、いかにも英国紳士の髭は、そこらの無精髭の親父とは比較にならない、なんてもんじゃない。
 
 「ところで、その後、彼氏と進展なしかい」
 いきなり話題を振ってくるのはイーサン
(映画俳優の○○に似ているのは絶対に気のせいだ)
 「自然消滅すると思います、連絡もないし」
 「君から連絡すればいい」
 髭紳士ディヴィの言葉に女は、顔をわずかに強ばらせて天井を仰ぐように見上げた後、グラスの水割りを一口飲んだ。
 「電話番号を消したので、こちらからはもう」
 「なんとまあ、思い切りのいいことだ、そして後悔しているんじゃないのか」
 「いいえ、もう綺麗さっぱり」
 少し声がトーンダウンする、そんな様子に二人の老人は顔を見合わせた。
 「器用じゃないなあ、君は経験不足からくるんだろうが、まあ、安心しなさい、今日から私が先生だ」
 
 このセリフにディヴィは驚いた、焼き餅、嫉妬以前に感じるのは不安、それもかなりというか大丈夫なのかというくらい。
 イーサンは若い頃からモテた、だが、その恋愛ときたら決して褒められたものではない。
 周りで二股三股で話を聞くと、自分なら、そんな間抜けな事はしないと笑い飛ばしていたくらいである。
 知り合った頃の自分は、その修羅場に巻き込まれて酷い目に遭ってしまった、それも、かなり酷い目にだ。
 といっても、それは昔の事だ、イーサンに言わせれば時効だよなんて笑い飛ばされるのがオチだろう、だが、人間の性格は、そんな簡単に変われるものではない、歳をとったからといって、もしもだ。
 「ディヴィ、私にも分別はある、もういい年だよ、それに私たちにとって数少ない友人だからね、彼女は」
 紳士的なセリフ、これに欺されてゲイだ知っても彼に迫る女性が後をたたない、若い頃もだが、今、現在でもだから恋人の自分としては複雑だ。
 このとき、不安が頭をよぎった、今、テーブルで食事をしている彼女はイーサンの事が好きなのではないかと。
 そしてゲイだと公言する割にイーサン自身、女性に手を出す事もあるのだ。
 

 「二人で料理をすることもあるんですね」
 「うーん、私は器用じゃないから殆ど彼任せ、たまに立つ事もあるけど、君は恋人と台所で何か作る、甘いデザートとか」
 返事は、すぐには返ってこなかった。
 「相手は料理が、あまり上手でなくて、パンケーキが雑誌で紹介されていて、それを見て作ってもらったyw@r:s@<ベーキングパウダーの入れすぎで苦くて」
 「愛は膨らまずにしぼんだというわけだ」
 「イーサン」
 なんてことをと思ったが。
 「いや、うまい言い回しです、確かに一口食べて、アタシの反応はまずかったかもしれません、まあ、終わったことだけど」
 

 「イーサンの事は許してくれ、口が悪いというか、思ったことをずばりとそのまま口にするタイプでね」
 「気にしてません、それに腹が立つことも、正直、真面目に付き合っていたのかと聞かれたら、イエスと即答できないし」
 台所で食器を洗った後、珈琲を淹れてもらい女は、あれっとお意外そうな顔をした。
 「凄く美味しい、特別な豆とか、それともコツが」
 「普通のスーパーの珈琲豆、ペーパーフィルターでね、コツというのは愛情かな」
 「あ、愛情、ですか」
 はははと笑いが返ってきた。
 「愛情が足りなかったから、うまくいかなかったのかも、何もかも」
 「そうだねえっ、まあ、色々とあるからね」

 駅までの道を一人、とぼと歩きながら、悩みがあれば聞くよと言われた言葉を頭の中で反芻しながら女はがっくりと項垂れた
 
 「悩みがあれば聞くから」
 
 笑顔で、あんな優しい声で言われたら自分の気持ちは益々というか、ずんずんと傾いていってしまうではないか。

 「ええっ、それは、まあ、凄い年上だこと」
驚いた顔でミックスサンドの最後の一切れを口に運び、今川辰美は目の前の友人の顔を見ると考えた。
 恋愛相談というわけではない、ただ、話を聞いてほしいと呼び出された喫茶店でまだ十分ほどしかたっていないというのに驚きの連続だ。
 「しかもゲイで恋人がいるとくれば割り込む余地無しか」
 「ち、違うわよ、別に、そういうのは無しなのよ、会って、顔が見れるだけで癒やされるというか、幸せを感じるというか」
 その言葉に正直、辰美は、ぽろりと本音を口にした。
 「見ているだけで癒やされるって、まるで芸能人かアイドルのファンみたいじゃない、あんた、疲れてるの」
 「元気よ」
 そういう意味じゃ亡いわよと思いながら、辰美は言葉を続けた。
 「まあ、いいけど、ところでローストビーフサンド、頼んでもいいかしら、一皿じゃ足りなくて」
 朝ご飯抜きで、昨夜の夕食もろくに食べていないのと言い訳をしながら奢りでしょうねと念を押して辰美はサンドウィッチと珈琲を追加注文した。
 「しかし、その人、ディヴィさん、そんなにいい男なの、若い頃はハンサムでモテたんじゃない」
 「うーん、多分、もてたと思う、物腰が柔らかで、なんだか、映画の中の紳士って感じで、話していると、あたし、お嬢様になったんじゃないかって気持ちになるのよ」
 「ミヤ、それは普通、七十過ぎて油が抜けたのよ、あんたの話を聞いていると、まるで白馬の王子様が現れたって感じがするんだけど」
 「あっ、乗馬が好きって言ってた、そう、少し遅めの王子様かも」
 いや、少しなんてもんじゃないでしょと辰美は腹の中で突っ込んだ。
 そのとき、これでもかというくらいに溢れそうなローストビーフの挟まれたサンドウィッチが運ばれてきた。
 「ちなみにその人は、あんたが自分の事好きって知ってるの」
 「ま、まさか、いや、知ってたら普通に話せない」
 「ところで恋愛指南役、恋人のイーサンって人、根性の曲がったジー様だわ、あんたは遊ばれてるわよ」
 ここへ来るまで、辰美は多少なりともアドバイスするつもりだった。
 ところが、話を聞くと自分には何もできないと思ってしまった。
 ゲイで年寄りとハードルが高いのに、へたをすれば相手は突然、明日、ぽっくりと亡くなっても不思議はない、それに気づいているのだろうか。
 「玉砕覚悟で告白して、デートでもしてもらったら、そしたら気持ちもすっきりするんじゃない」
 「そ、それ、言われたけど、でも無理、もし、疎遠にされたら立ち直れないもの」
 ばれてるんじゃなかろうか、いくら相手が年寄りだからといって、もしそうだとしたらからかわれてるのかも、いや、深読みのしすぎか。
 会ってみたいなあと辰美はさりげなく呟いた。
 「もしかして、その人、気づいていて知らないふりをしているとか、だとしたらあんたが気の毒だわ」
 「なっ、何を、言ってるのよ」
 (い、いや、そんな真顔で怒らなくても)
 これは恋に恋するのとは違うのだろうか、もし、明日にでもその老人が亡くなったりしたら友人は大泣きして全力疾走、シャドーボクシングなどしたりして哀しみを吹き飛ばしたりするのだろうか。
 そんな事を思っていると。
 「やあ、ランチかいと」
 辰美が振り返ると外国人の老人が近づいてきた。
 「イ、イーサン、さん」
 「フレンズかい」
 ははあ、これが好きな人のゲイの老人、普通なら恋敵となるべき相手か。
 (負けてるよ、ミヤ)
 外国人のゲイというのは年寄りでも見た目が格好いい、イけてるジジイなんだと思いながら辰美は頭を下げた。
 「良かったら御一緒しません、好きなもの頼んで下さい、彼女の奢りです、先生」
 「おや、いいのかい、しかも先生ときた」
 「見込みのない恋愛をしている彼女を慰めていたんです、ところでデートぐらいさせてあげられないでしょうか、友人が気の毒で」
 「たっ、たっちゃん、な、何を言ってんの」
 「今の気持ちを少しでも速く浄化して次の恋を探すのよ」
 「それはいいことだ」

 並んで座った二人が自分を見てにっこりと笑う、その笑顔に不安を覚えたのも無理はなかった。

 上司の命令は絶対だ、移動というわけではないからといわれたとき、正直なところ木桜美夜は、ほっとした。
 倉庫の管理と整理を手伝ってほしいと言われ、自分にできるだろうかと思ったからだ。
 会社の倉庫は決して大きくはないが、物置同然、おまけに経費節約の為なのか電気も薄暗くて、正直、あんなところで仕事なんて嫌だなあと話している社員の話を聞いた事があるからだ。

 棚におさまらないダンボールの箱が床に、あちこちと置かれている、いや、これは散らかっているのだろうか。
 湿気のせいなのか、箱や乱雑に積まれた紙の束は薄汚れて湿っているようだ。
 (こういうのは我慢できないなあ)
 新しい箱に中身を入れ替えたらどうだろう、だが、倉庫の責任者というのは誰だろうと思い、時計を見た。
 出社時間はとっくに過ぎているのだが、時間を確認しながら待っていると、扉の向こうから足音が聞こえてきた。

 部屋に入って来たのは責任者なのだろうが、だが、この物置には正直、似合わない。
 髪は、オールバック、ぴしっと後ろへ撫でつけて、スーツもぴしっだ、そして顔は、何か、嫌な事でもあったのか、不機嫌、そのものだ。
 「責任者の方ですか」
 じろりと睨まれて思わず息を飲んだ。
 
 「あー、それは大変、お気の毒、地獄の入り口に足を踏み込んだね」
 その日、仕事の帰りに友人の今川辰美と会い、今日の出来事を話す。
 「噂では上司の娘と結婚が破談になって、エリートから落ちこぼれたって噂の男だよ市村俊秀、顔はまあまあだけど、性格と根性が曲がっているとか、まあ、これも噂だけど」
 噂ねえ、その断言、断定するような口調はどうなのだろうと思ったが、春海はあえて口には出さなかった。
 「しかし、倉庫の手伝いなんて臭いなあ、首切りの直前とか、リストラなんて珍しくないからねえ」
 確かにと美夜は内心頷いた、最近は入社したばかりの若い社員、エリートが、突然首を切られるという話を聞くので自分も、そんな目に遭わないという確証はないのだ。
 「まあ、深く考えても仕方ないけど、ところで、その後どう」
 「どうって」
 「年上の王子様と、どうなってんの、報告しなさいよ」
 「いや、ずっとアタシは仕事だったし、いつも会えるわけじゃないし」
 「じれったいわね、明日は土曜日じゃない、デートに誘いなさいよ、行動しないと明日には葬式に参加なんて事になるかもよ」
 「ち、ちょっと」
 不吉な縁起でもないことをと呟きながら、珈琲を飲むが、言葉が出てこない。
 「好きですと告白したところで、振られるのは決定だから、でも、逢いたいの、変だわね、矛盾しているよね」
 「あんた」
 「アイドルや芸能人ならよかったのに」
 「ええい、弱気になるな、よし、そんな、あなたに元気をあげましょう」
 「何、元気って」
 「取り出したのは私の携帯です、そしてボタンを一つ押すだけで繋がります、あなたの王子様に」
 「ええっ、なっ」
 「話はつけてある、さあ」
 携帯を手渡されて、どうしようと慌てたのは無理もない、慌てて店の外に出て携帯に耳をあてると、声が聞こえてきた。

 
 「イーサンから聞いたんだ、明日の夜の映画のことだけど
 外は寒い、冬だから当然だ、だが、気にならない、いや、我慢できる。
 「いいのかい、週末なのに、彼氏とデートとか」
 いませんと答えるのは正直、恥ずかしい、いや、多少の見栄だ。
 「突然なので、駄目ですか、ディヴィさん」
 「実はイーサンは用があるらしくてね、良かったら夕食にも付き合ってくれないかい」
 映画の後で食事、何、この展開、コースは、まるでデートみたい、今、自分は人生の幸運を使いきっているんじゃないのと思いながら冷静になれと自分に言い聞かせる。
 あっという間の会話だった。
 「幸せ、だわ」
 思わず独り言のように呟いたとき、ふと顔を上げたのは視線を感じたからだ。
 目の前には今朝、自分の上司となった、物置の責任者、市村俊秀が立っていた。
 それも、ひどく冷めた目つきで、自分を見ていた。
 


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