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自分は戻るつもりなどなかった、それなのに、この家の玄関の前に立っている事が不思議だった。
気持ちを落ち着けるために深呼吸するが、荷物がやけに重たく感じられた。
原因は中に入っている手紙のせいだ。
教授から送られてきたものだが、それを読んで、今更だが、改めて思い出した。
ここで過ごした日々を。



「久しぶりだね、君が出ていってから」
ドアが開き、迎えてくれた教授の顔色が以前と比べるとよくないことに気づいた。
「ここ一週間ばかり忙しかったせいだね、コーヒーの飲み過ぎはよくないと改めて気づいたよ」
「手紙を読みました」
「ああ、書いてあることはすべて本当のことだ、まあ、かけたまえ、戻って来てくれないのではないかと思うこ
ともあった」
「そのつもりでした、私はリンクの生まれた研究所に行きました、そこでチンパンジーの飼育をしていた人を捜
して」
「ジョナスンはやめた、あの事件がきっかけでね、君が彼の元を直接訪ねるとは思わなかった、電話があって確
信したよ、だから、待っていた」
「リンクは息子だという意味が、初めてわかりました、でも、考えました、事件が起きたとき、リンクを安楽死
させることもできたはずです」

フィリップは目を閉じた、あのときの光景は忘れることができない。
自分を助けようと飼育員達が檻の中に入ろうとする。
だが、一匹のチンパンジーの悲鳴、いや、怒りの叫びは他の猿たちをも刺激し、伝わってしまう。
怪我をするだけなら、いや殺されてしまうだろうと思った。
だが、自分は生きている。
身代わりとなったのは一匹のチンパンジーだ。

「教授、こいつはすごく利口なんです」

初めて施設を訪れたとき、飼育員のジョナスンから紹介されたのがリンクだ。
自分が施設を訪れるたび、そしてリンクと接するうちに気づいた。

「リンクは群の仲間から、嫌われているのか、ジョナスン」

まだ成長期のリンクは極端に小柄というわけではないし、怪我をしているわけでもない。
それなのに、リンクは遠巻きに仲間からみられている。
「喧嘩をする事はあるのかい」
「いいえ、でもいずれは」
リンクは他の猿の違う。
人工飼育されて人間と触れあう時間が長ければ猿よりも人間に興味を抱くということはある。
だが、リンクの場合は、それが当てはまらない。
そして事件が起きた。


「リンクが服を着ていることに君は最初、驚いていた、人間の物まねをさせていると思っただろうね、怪我が治
ったリンクは明らかに驚き戸惑っていた、自分が仲間と違うことは本能で感じていたかもしれない、だが体の一
部を失うことがさらに、それを認識と自覚させた」
「教授、何を考えて」
「失ったものを与えてやりたい、しかし、補ったところで蒸れに戻れる保証はない」
フィリップは彼女の隣に腰掛けると両手を取った。
「今
何を考えている」
怖いと思った、本能が感じたせいかもしれない。
答えようとした瞬間、がちゃりとドアの開く音がした。
そこにはリンクがいた。


「久しぶりだ、こんな夕食は、リンクも喜んでいる」
「コーヒーとキッシュだけでは良くないですよ」
「砂糖と油まみれのドーナツよりはましだと思うがね、そういえば、リンクは太ったかな」
一生懸命に食べているチンパンジーは依然と変わりないように見える。
「少し大きくなったように見えますが」
「そうだな、体重は二キロほど増えた、ストレスだろうか」
多少なりとも自分に責任があるのだろうか。
「君だけのせいではない、新しく始めた勉強のせいだと思うね」


まず大事なことだと教授が説明を始めた。
「あのとき、君の胸を触ったリンクの行為、君は、どう理解する、猿が、いや、チンパンジーが、人間に対して
欲情するという行為だと思ったかい」
「違うように感じました、勿論、あのときは驚きましたが、リンクは教授の言葉に従っていただけで」
「そうだ、私が命令したからリンクはそうした、以前にもリンクは映像を見せたり、本を見せたが、だが、見る
だけだ」
今、リンクはテレビを見ていた。
だが、これはただ見ているだけだ、人間なら笑ったり泣いたりするだろう。
それは理解しているのだ、チンパンジーで猿である彼が理解しているのかと言われたら。
「さあ、始めよう」


あのときの続きだろうか。
リンクが自分の隣に座り、手を伸ばし、胸を触ってきた。
そして、教授はリンクに命令を、いや、声をかける。
ゆっくりと、強く、弱く、手で掴むように、握ってごらん。
人とは違う手の感触、服の上から伝わってくるとはいえ、少しずつ体が反応してくる。
すると教授の声が途切れた。


「今、リンクは君を見ている、君の顔を、そして様子がおかしいと思っているのだろう」
リンクと教授が声をかけた。
だが、それは命令ではない。
何故、そうなっているの、説明しているのだ。
「リンク、彼女は嫌がっているわけではない」
対抗しないのは、リンクが自主的に自らの意志で動くとを学ばせるためだ。
シェレンは黙ったまま、時折、リンクを見た。
今度は自由に触ってごらん、その言葉に手が離れた。
最初に触ってきたのは顔だった。
鼻や目、口や髪、耳を触る、腕や手腹、足を。
リンクの手が止まったのは、不自然な動きのせいだった。
「そこが子宮だ」
手を止めて教授を見た彼は、もう一度、そこへと手を伸ばした。


突然、電話の音が鳴り響いた、リンクの手が止まり、教授が受話器を取る。
「私だ、ああ、そうか
電話がかかってくるなんて珍しいと思いながら聞いていた。
体が、頭が少しずつ冷めてきた、感覚が少しずつ引いていくが物足りなさだけは消えない。

「大事な電話でね」
「そうですか」
すまなかったねと、もう一度、繰り返し、今度はリンクへと視線を向けた。
テレビの前から動こうとしない様子に、教授は今夜は終わりにしようと言った。
「君は不満なようだね」
「そんなことは」
「手紙に書いてあっただろう、私もリンクと同じだ、性的行為はできない」

君に見せたいものがある。
教授が棚から取り出したのはガラス瓶だった。
中に入っているものを見たシェレンは、すぐには、それがなんなのか理解できなかった。
「リンク自身の学習も大切だ、だが、君自身も学ばなければならない、さあ、想像してみたまえ」



思わず声を漏らすと、静かな声で教授が尋ねてきた。

初めてではないだろうと、答えを求めてきた。
「なるほど、では今までの君の相手は」
挿入だけがセックスだと思っている。
ペニスの大きさだけが重要で、それを自慢する男ばかりだったのかねと聞かれ、シェレンは答えることができな
かった。
「では、こういうのは」
教授の手の動きが止まり、脇の下から忍び込むように入ってきた。
シェレンは、たまらずに両手を伸ばしてドアに手をついた。
返事のかわりに最初に口から出た声を、どう受け止めたのか。
このとき自分に与えられる刺激を否定するようにシェレンは首を振った。
少しずつ力が込められるかと思えば、まるでマッサージするような動きに変わったりする。
乳房全体を、時には乳首を触られている。
服を着たままで、そして自分は受け入れつつある。
今までの男たちを思い出し、比べてしまう自分がいた。


セックスの経験はあっても、それが全てを知っていることにはならない。
自分が与えている刺激と感覚を拒否しながらも彼女は受け入れつつある。
やめてくださいと切れ切れの言葉に教授、フィリップは確信した。
自分は男として、今、存在していると。



「シェレン、リンクと同じように君も」
返事をするだけの力も余裕もない彼女の耳に話しかけてくる声。
「学ばなければならない」
シェレンは思った、今、自分がする事は一つ。
感じること、ただ、それだけだと。


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