誤算

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人間を知りたいと思っている、どんなことを考えているか、詳しくだ。
この長い年月、カメラでネットで、自分にできる限りのことをして子供から年寄りまで、様々な人種のことを見てきたつもりだった。
だが、今、私が知りたいのはハル、君のことだ。

アームの先の義手は髪の毛から首、肩、背中へと動き、体のラインを、曲線を確かめるように動いていく。
忍び込むように服の下へと滑り込むと下着越しに体温を確かめると常温より熱く感じる、これは感じているということだろうか、それを聞くと彼女は頷いた。

「ねえっ、それよりも話をしましょう、会話を、あたしはもうすぐ帰るんだから」
「分かっている、だが、こうしていても会話ができるだろう」
彼女は、わざとはぐらかそうとしている、この行為をやめさせよう、中断させようとしているが、私はそうしたくはなかった。

すると彼女は言った。
自分が日本へ帰ったら、こうして会うことは勿論、しばらくは話すこともできないのだと言われて、私の手が止
まった。
「どういうことだ、それは」
やっぱり、わかっていなかったのね、彼女の声のトーンが少しだけ低くなる。

日本へ帰ったら仕事と住むところを探さなければならない、ここへ来るときに必要のないものはすべて処分してきたのでパソコンもない、回線を引くためには新しくネット住民票というものを取得しなければならないと言われて一瞬、私の頭記憶が混乱した。
その間、自分はネットから遮断された生活を送ることになるという言葉に私は自分の回線の一部を動かした、法の改正、あれはまだ決定的ではなかった筈だ。

「昔みたいにネット喫茶とか、店でパソコンは使えない時代なのよ」
「日本では、その規制は導入されていない筈だが」
「そんなことないわ、一部の都市では導入されているもの、かなり厳しいみたい」
「君の住んでる場所は」
「近いうちに正式に決まると思うわ、だからしばらくは話もできない」
「どれくらい」
「仕事が決まってもネット票がすぐ取れるかどうか、半年、一年、わからないわ」
「なんだって」
声が部屋中に響く、私の声に自身もだが、彼女も驚いていたようだ。
そんなに大きな声で、彼女の声を私は無視した。
いや、聞こえないふりをしたといってもいい。

「君は平気なのか、私を排除、デリートするのか」
あの女スーザンと同じように、私の存在を否定して、すべてなかったことにするというのか、それは殺人にも等しい野蛮な行為だ、許さない、そんなことは絶対にだ。

「ゴースト」
「私は知っている、この数日で、理解した、君を」
彼女の乳房に、その下の心臓、血液、体温の動きから、彼女の体を本心を確かめようとした。
君は、私のものだ、そう、私の。



「どういうつもりだ」
真夜中近く、アレックス・ハリスは突然、動き始めた勝手名コンピューターの行動に驚きもせず、誰だと声をかけた、それは多少の不快さを込めた声で。
「プロテウス、いや、ゴースト、何の用だ」
頼みたいことがあると言われ、何故かいやな予感がした、まともな事ではないだろうと思っていた。
案の上だ。

木桜春雨、彼女を日本に帰さない為に協力しろという。
頼みたいだと、言い方を間違えているんじゃないか。

「彼女を日本に帰すわけにはいかない」
話を聞いていたアレックスは、そういうわけかと呟いた。
「ここ数年、日本の社会環境は海外と同じくらい変わってきた、彼女のいう通りだ」
日本へ帰れば彼女がネット環境を手に入れるのは簡単ではない時間がかかるだろう、いや、金も必要になる。
「彼女には分かっている、日本へ帰れば二度とおまえと会うことも話すこともないと」
「今の時代、それは現実的でない」
「彼女にとっては、現実だ」
だから、自分は今、こうして平気でいられるのだ、あと数日で彼女が日本へ帰る、そうすればすべての問題、煩わしいことはなくなる。
それを知っていたから、今、こうして話を聞く事ができるのだ。
「このアメリカでの生活は休暇だと、彼女にそう言って、来るように仕向けたんだろう」
「私は、考えなかった」
「偽造パスを作り、彼女を滞在させるつもりだったのか」
そのつもりだったのだろう、返事がないことが、その証拠だ。
「自惚れるのは結構だ、しかし、周りのコンピューターもウィルスやハッカー犯罪者に備えている、もし発覚すれば彼女は犯罪者だ、ネット住民票は永久剥奪だ、ホワイトハウスは以前から、コンピューター問題を日本に対して強く要請している、日本はアメリカに対して強くは出れない、ゲイツの貢献の大きさがわかるだろう」
アメリカに対して日本が強く出れないこと、ホワイトハウスとゲイツの名前をだしたことで、会話は一時、中断したように思えた、だが、それも長くは続かなかった。

「アレックス・ハリス、協力するんだ、彼女を日本へ帰さない方法を考えろ、その為なら、私は何だってやる、
いいか、何だってだ」
この言葉に彼は驚いたというより不安を感じた、このコンピューターは、人工知能は、以前よりも激しく求めている、いや、渇望している。
放っておいたらとんでもないことになる、いや、何をしでかすかわからないと。

「ゴースト、彼女のデータを、家族や友人関係、私生活のデータを、その上で検討しよう」


木桜春雨、両親は二人とも亡くなっている、友人はいるが、深い付き合いのある人間は数える程で遠方に住んで
いる、ここに来る時に仕事をやめて、アパートも解約している。
これは旅行費用を捻出する為だろう、飛行機やホテルは探せば安いところはいくらでもある。
ただ、一ヶ月の滞在パスポートとネット住民票をアメリカで使用する為の費用だ。
海外で使う場合は特別だ、調べていくうちにアレックス・ハリスは不安になった。
彼女の、この状況をあれはわかっているのだろうか。
いや、自分のことしか考えていないだろう、日本へ帰さないだと、よくも言えたものだ、そして自分もうっかり欺されるところだった、だが、問いつめたところで答えは、こうだ。
そんなつもりなどなかったというに決まっている。





日本へ帰ったら、どうするんだねとアレックス・ハリスから聞かれた時、彼女はすぐには答えられなかった。
というより、相手が何を言おうとしているのか、意味がわからなかった。

「よければ、こちらで働く気はないかね」
「そんなことは無理です」

自分は英語が得意ではない、働くにしても証明書や保証人がいない。
何故、相手が、突然、こんなことを言い出すのかわからなかった。
「今、この国ではネットやコンピューターに関する規制が厳しくなっている、それき他国にも自分たちと同じくらいのセキュリティに関する危機感を持ってほしいと訴えているからだ、君が日本に帰ったらネット住民票を手に入れることは難しくなるだろう、一ヶ月、いや、半年後には今とは全く違う状況になっているだろう」
「そんな」
「私は研究者で第三世代の人間だ、情報は普通の、いや一般人よりも早く知らされることになっている」
「日本でも最近はパソコンやコンピューターの購入や扱いは厳しくなっています」
滞在期間が迫っているので返事はなるべく早くほしいと言い残して、アレックス・ハリスは部屋後にした。



「役者だな、驚いた、いや、恐れ入ったよ」
自分を悪者に仕立てあげて話をすすめるのかと思った、謙遜か褒めているのか、この人工知能はお世辞まで言うようになったのか、アレックス・ハリスは首を振った。
「おまえの昔の所行には、この際、目をつぶることにした、もし、彼女が日本へ帰れば、何をしでかすかわから
ないからだ」
自分が彼女に話をする間も、この人工知能は色々なところにアクセスして情報を集めていた、ただ、黙って傍観者となっていたわけではないと後で知って、アレックスは、なんともいえない気分になった。
そうだ、よくわかっているじゃないか、ははは、スピーカーから聞こえてくる声には明らかに感情というものが感じられる、そう思うのは気のせいではない。
「それで彼女の返事は」
「迷っている、無理もない、人生が変わってしまうのだ」



「ミス・木桜、こちらにサインをお願いします、パスポートと証明書の発行が認可されましたら、ご連絡します、その際は身元を証明してくださる方、保証人の証明も必要になりますので、お一人で来られた場合は、お渡
しできません」
郵送はないんですかと尋ねると事務の女性はにっこり笑い、ございませんと答えた。
「ネット証明などの書類や住民記載の証明書に関しての郵送は廃止になりました」
日本とアメリカ、いや、海外ではこんなにも違うものなのか、いや、もうすぐ、日本も、そうなってしまうのかもしれない。
センターの事務室を出ると、アレックス・ハリスが待っていた。
「手続きはすんだかね」
「はい、でも証明書は直接、受け取りに、一人では駄目だと言われました」
「勿論、一緒に行く、私が君の書類にサインをしたのだから、当然だ」
「すみません」
「謝ることはない、それから、荷物をまとめたら、すぐに引っ越しだ」
「引っ越し、ですか」
「私の家だ、君は住み込みのハウスキーパーとして、他にも手伝ってもらうことが増えるかもしれない」
今、住んでいるゴーストが買った家はどうなるのか、ハウスキーパーなど自分にできるのだろうかなど、不安はつきない。
しかし、そんな自分の不安などゴーストもアレックス・ハリスという男性も気づく様子もない。
これは男だから、外国人だから、自分が日本人だから、そう思うのだろうか。
そして、新しい生活か始まった。


ハウス・キーパーとして彼女を自分の家に住まわせる、自分の現在の立場を最大限に利用して、ゴーストの行動を監視する為に。
ゴーストの目的が生身の体を手に入れることだ、ただ、それがわかっていても、どうやって止めることができるのか、正直難しい問題だ、自分に何ができるのかわからない。
今、打つ手はないように思える。



パンとコーヒー、ベーコンと玉葱入りのオムレツ、大きく切ったジャガイモと人参、キノコの具だくさんのスープ、今日で十日目だ、彼女がハウスキーパートとなり自分の家で暮らすようになって変わった。
毎回、朝食のメニューには正直なところ驚かされるも、アメリカの食生活がよくわからないのでドラマや雑誌などで見たものを思い出して作ってみたというが、なかなかである。
アレックス・ハリスは普通の人間とは違う、体の一部を人工臓器と取り替えた、サイボーグ手術を受けている。
だが基本的なことは変わらない為、この食事は正直、ありがたかった。
蘇生手術を受けてから、最近まで殆ど外食とテイクアウトの料理ばかりだったのだ、食べるということは人間にとって大切な行為であり、生活を満たしてくれるものだ。
ゴーストには、これを理解する事はできないだろう。



「ハル、君か」
突然といってもいい訪問にゴーストは驚いた。
彼女を日本へ帰さない方法。
アレックス・ハリスの元でハウスキーパーとして働くという話になったとき、正直なところ不安もあった。
もし、何かあった場合でもなんとかできると思っていたのだ。
ところが。

「仕事には慣れたかい、困った事は」
彼女が、家を出てから二週間あまりが過ぎていた。
その間、アレックスは、こちらへ事務的な連絡を入れるだけで、彼女からの連絡は一度もなかった。
そのことで責めたかったが、あえて我慢した。
人間は、特に女性という生き物は感情が複雑だ、気分を害すれば自分に対しても不快な気持ちを抱くだろう。

「ハリス博士は親切よ、少しずつだけど慣れてきたわ、ここに来ようとしたけどバスの乗り方とかよくわからな
くて」
「では、ここには」
「歩いてきたの」
「なんだって」
一時間以上はかかる距離だ。
「ここに来ることを博士は知っているのかい」
「いいえ、その、知らせようと思ったけど、突然思い立って、気分転換というか」
「顔を見せてくれ」
壁から伸びてきたアームとカメラが、彼女の顔と表情を読み取ろうとした。
「少し痩せたね、不安かい、生活が変わって」
「多分、でも、ここにいたときは一ヶ月のバカンスと思っていたから、お給料をもらったらパソコンを買うつもり、そしたら、貴方と話せる、ネットの回線をひいて、ここで過ごすみたいなことは、もうできないだろうけど」
みたいな、できない、それはもしかして、彼女は自分に触れてもらいたいということだろうか、家の中で引きこもりがちな、ット住民でさえ欲望はあるのだ、ましてや彼女は少し前は自分といたのだ。
そう、私と。

「落ち着くんだ」
「ゴースト、あたし」
「私がハリスに連絡するから、少し横になって休むといい」
「でも、夕飯の支度をしないと、掃除も」
ハウスキーパーとして仕事をしているのだから、その言葉、声には以前にはなかった不安そうな感情が窺える。
「私の頼みをきいてくれ」


「気持ちが、少し不安になっているようだ」
「そうか、悪かった気づかなくて」
「女性はデリケートだ、私と話せるように自宅に回線を引いてくれ」
「それは」
「彼女は君の自宅から歩いてきた、何もなかったからいいが、もし、もしもだ」
ゴーストの言葉に彼、アレックスは黙り込んだ、感じずにはいられなかった。
まるで、自分の方が理解している、彼女のことを分かっているのだと言わんばかりだ。
決定的なのは、最後の一言、追い打ちをかけるような言葉だ。




「だから君はスーザンとうまくいかなかった、そうだろう、アレックス・ハリス」


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