愛の重さ

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自分は幸せなのだろうか、そんなことを考えた事に驚き、彼女は自分を叱咤し
た、こんなことを考え、思ってしまうなど夫に対する裏切りだと思ったから
だ。。
コーラス・ガールだった自分が貴族の青年と結婚したことで世間は一時騒がし
くなったが、無理もない、批判や白い目で見られるのが当たり前だと思ってい
た、だが、それは想像以上だった。
そして、自分の恋人は親や親戚の反対を何度も説得した、許してくれないなら
家を出ると言いだした。
そんなことをさせるわけにはいかない、彼の元から姿を消えたほうがいいと自
分は考えた。
けれど自分の思いと予想を裏切り、産まれた時から溺愛されている青年の頼み
を兄や親族は受け入れた。
自分の未来の夫となる男性は周りから愛されているのだ、そのことを改めて知
り、わずかな気まずさと不安を感じずにはいられなかった。

彼に、夫に恥をかかせてはいけない、必至になって社交界のしきたりなどを覚
えるのは並大抵の事ではなかった。
一日が、半年が、一年があっという間に過ぎていく。
忙しい中、ふと思い出す野はコーラスガールだった頃のことだ。
練習は厳しくて大変だった、いつか舞台に立ちたいと思いながら、その夢が叶
わず去って行く仲間達も大勢いたが、自分は幸運に恵まれた、だが、その為に
失い得たものは大きい、そのことに気づいたのはいつだろう。
後悔はない筈だった。
二人の子供が生まれたらと結婚当初は考えていた、だが、それを周りが喜ばな
いと気づいてから夫と夜を過ごすことさえ罪悪感を覚えた。
ぎこちない態度は経験がないからだと夫は思っていることが救いだ。
妊娠の兆候がないのは救いかもしけない、いや、自分が欲しくないと思ってい
るからかもしれない。

結婚し、家族ができれば新しい人生が始まると思っていたのに、感じるのは孤
独、それも日がたつごとに大きくなっていく。だ。
あの女はコーラスガール、卑しい身分の人間だと周りの視線が自分を見ている
ような気がした。
孤独が日増しに大きくなる、あの人もずっとこんな気持ちでずっと人生を生き
てきたのだろうかと思うと今ながらに思うと自分は、ひどいことをしたのでは
ないかと思ってしまう。
勿論、悔やんだところでどうなるわけでもない、そう、今更だ。
時折、あのときの選択、違う道を選んでいたらと思うときがある。
自分を宝物のように慈しんで愛してくれた。
過去のことを懐かしんではいけないと思うが、思い出してしまう。
夫が隣にいて、自分をだきしめているときでさえ。
いや、行為の最中にさえだ。



日は暮れかけていた、一人で散歩に出掛けたのは屋敷に居場所がなかったから
だ、というよりも居たくなかったからだ。
元コーラスガールという過去は好奇心を刺激し興味をひくものらしい、おもし
ろいだけでなく、格好の憂さ晴らしになるようなのだ。
嫌みを言われても聞こえないふりをしてやり過ごす、最初の頃は言い返そうと
したが、自分が口を開くと生意気だ、育ちが悪い、挙げ句に子供ができないの
はと言われる始末だ。
夫のラウルがそばにいるときは耐えられた,だが、一人のときは思い知った。
自分を助けてくれる、味方などいないのだ。


マダム花を買っておくれよ。
声に振り向くと少年がしおれたバラの花を一輪、手にしていた。
あきらかに道端に捨てられていたものだ、だが、そんなものでも売らなければ
乞食や物乞いは糧を得ることができない、でなければ飢えて死んでしまう。
「頂くわ」
花を手にして歩きながら思わず歌を口ずさむ。
少しだが、気持ちが軽くなった気がしたが、それは、ほんの少し。
このしおれた花は自分だ、水を与えても無理かもしれない。
橋の上にきたとき、花を落とした。

「マダム、いや、シュニュイ夫人」

振り返ると深く帽子を頭、黒いマントに身を包んだ男が立っていた。
驚いて体が震えそうになった。
あのとき、地下には姿はなく、仮面だけが残されていた。
相手をよく見ようとしてもできなかったのは自分がどんな顔をしているのかわ
かっていた


「泣きそうだ、おまえは」
呆れたような声だ。
「どうして」
ほんの少し沈黙の後、男が尋ねた、幸せかと。
勿論と答えて頷く筈だった、だが何も言えず、言葉も出てこず、俯くだけで精
一杯だった。。
「待っていた」
見上げるように視線を上げると帽子の下から覗く顔が見えた。
「舞台ではなく、これから私の、二人の為に歌って欲しい」
「三年よ、あれから」
三年だ、たった三年だ、まるで、たいした時間ではないといわんばかりの、そ
の口調に返事などできなかった。

「行こう」

目の前に差し出された手を黙って見つめたまま、そのとき、初めて口を開いた
が、そこから出てきたのは言葉ではなく、嗚咽とすすり泣きだった。


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